代表質問 村山祥栄議員(2019年9月議会)
私は左京区選出の村山祥栄でございます。
地域政党京都党市会議員団を代表し、同僚の森かれん議員と共に、市政一般について質問いたします。
京都市の決算は市税収入の増加と市債残高の減少、また市税徴収率が99%台に突入するなど明るい兆しがある中、一般財源収入が71億円増加したにもかかわらず、結局67億円という巨額の公債償還基金の取り崩しを行わざるを得ないという依然厳しい状況のままです。
他の政令市と比較しても、市民一人当たりの市債残高は91万円でワースト2位、将来負担比率も191.2%でワースト1位、財政調整基金も実質17億円でワースト1位と大変厳しい状況です。にもかかわらず市民一人当たりの人件費は11万4743円と政令市で高い方から3番目です。
こうしたことから、決算の京都市監査委員の監査意見でも「一層の危機感を抱かざるを得ない」「財政構造改革をこれまで以上の危機意識をもって推進されたい」と指摘されております。
細かい数字についてはこれからの決算特別委員会で行いたいと思いますので、本日は概論に留めておきたいと思います。
財政当局は財政再建に向けて、一定頑張っているとは思っています。しかし、それは「並の頑張り」であって、京都市の財政は「並の頑張り」で再建できる状況にないというのが正直なところです。
京都党では、この夏、財政破綻寸前だった自治体である大阪府泉佐野市と将来負担比率0を達成している浜松市という対極的な自治体の視察を行って参りました。
共通していたのは、これでもかという強い決意と財政再建に取り組む本気の姿勢です。とりわけふるさと納税で随分無茶をなさった泉佐野市ですが、市長曰く「財政再建のためにはなりふり構っていられない。やれることは全てやる。」という言葉の通り、使える制度は全て駆使して財政再建に取り組むという気迫を強く感じました。公共施設の完全週休二日など、その取り組みの全てが肯定できるものではないかもしれませんが、その姿勢たるや評価に値すべきという思いを強く致しました。浜松市も同様で、将来負担比率ゼロ、実質公債費比率は財政悪化の著しい従前の政令指定都市ではなく平成13年の大合併以降の政令市平均以下にすると自らに厳しい目標を課し、また臨時財政対策債を含む市民一人当たりの市債残高を政令市最低水準にまで引き下げるという明確な目標を掲げ、その達成に向け、市民一人当たり人件費を18%削り、2000施設ある施設のうち439施設を閉鎖し、不退転の決意でそれに邁進されておりました。
正直、ここまでやるのかという思いもありながら、ここまで覚悟を決めないと財政再建は成しえないことを思い知らされました。そして京都市にはまだまだその覚悟がないと感じた次第です。
市長、市長がこの決算数字を議会に提出されているということは、市長としてこの決算でいいと判断しておられるのでしょうか。あるいはこれでやむを得ないとお考えなのでしょうか。もしやむをえないならば、本来はどういう財政にすべきとお考えなのでしょうか。市長の率直なご見解を伺いたいと存じます。
次にふるさと納税についてお尋ね致します。
ふるさと納税とは本当に悪しき制度だと思います。郷土愛を大切に東京からふるさとへ納税しようという当初の発想は良かったと思いますが、その後ただの返礼品競争へなってしまいました。その時点で当初の理念は失われ、返礼品目的のただの「得するツール」と化してしまった。全く以って下らぬことです。しかも、A市に収められる1万円をB市に持っていって、5000円が返礼品になれば、A市は10000円損をして、B市は5000円得をする。でもトータルでは5000円分使える税金が減るわけです。損した自治体は損した分の75%は国が補填をするという更に馬鹿げたおまけつきです。結局2500円分は損をし、補填自体も税金なのですから、馬鹿にも程があります。さらに、この制度は高所得であればあるほどほど得をする制度になっており、年収2000万円クラスにもなると、最近は肉や野菜など食料品など買ったことないと豪語する者もいます。「だれ一人取り残さない」とか、弱者救済だとかいうものの、この制度は高所得者優位の還元セールでしかありません。
挙句の果てに、総務省は地方自治体は知恵を絞れといいながら、ふるさと納税制度は不備だらけ、地方は知恵を絞り色々な取り組みをしたが、後出しじゃんけんのごとく、「あれはだめ、これはだめ」と言ってくる始末です。これぞ天下の大失策です。
門川市長が返礼品競争には組しないというご意見はごもっともであり、京都の良識というべきところです。
併せて、国に強くふるさと納税制度の廃止とその愚かさを説くことを強くお願いします。
返礼品競争に組しないというその姿勢は高く評価されるべきである一方、ふるさと納税による財源流出は深刻な問題です。京都市は常にワースト10の常連で、平成29年はマイナス15億円、平成30年度はマイナス28億円、令和元年度ですでに39億円が流出しています。いよいよ看過できないレベルです。さらに、ふるさと納税は認知度の上昇に伴い、利用者が爆発的に増加傾向で、今後益々拡大すると言われておます。もちろん、制度上首都圏、大都市圏の納税を地方へもっていくのが本旨なので、大都市圏は不利なのですが、それによって京都市民の利益が損なわれることは望ましくありません。
さすがに返礼品競争に組しないとする市長も、ここまでの落ち込みは看過できず、先日ふるさと納税に対して初めて伝統産業品や京野菜などの返礼品の増加、使い道の拡大、ポータルサイト「ふるさとチョイス」経由でのお申し込みなど、積極的な対策をお取りになられました。目標も現状の1億円程度から5億円を目指すということで意気込みも感じます。
不本意とは存じますが、いかに悪しき制度であろうとも、その土俵で勝負させられている以上、少なくとも財源流出を止めるための積極的なふるさと納税制度の活用を強く望みます。天下に誇るべき京都であります。その気になれば、圧倒的魅力をもって5億円と言わず、マイナス分を全て取り返すぐらいの財源の確保ができると考えますが、いかがでしょうか。
また、積極的な姿勢は評価しますが、今回の取り組みは十分ではありません。
ふるさと納税のポイントのひとつは、返礼品の点数です。返礼品点数と納税額は相関関係にあり、一自治体ですべてのふるさと納税を完結出来るようにすることで、納税先を一か所に集中させることができます。その点でいえば、返礼品100点というのはまだまだ不十分であり、伝統産業品や京野菜にこだわらず、広く京都産品を返礼品に加えるべきであります。京都市は、文化歴史に紐づいたものを採用したいという思いをお持ちですが、そこに強くこだわる余り、納税額が伸び悩んでは元も子もありません。ここは納税者目線に立って、ふるさと納税したくなる直接的な取り組みにシフトされることを強く望みます。一例でいえば、ふるさと納税の三種の神器と呼ばれる「肉・蟹・米」、これを一定周辺自治体とも協議して抑えておくべきです。ご存知の通り、市内産品以外でも府下の産品であれば地元自治体の了承があれば返礼品に加えることが可能です。とにかく一番大切なことは、本気でマイナスを取り返すという気概です。現段階の絞り込んだ返礼品では、なりふり構わずふるさと納税を積極的にやっている自治体に勝つことはできません。不本意かもしれませんが、やるならやると腹を括ってお取り組み頂くことを切にお願いいたします。
一旦、ここまでの質問について御見解をお伺いいたします。
次に観光政策についてお尋ね致します。
私は今日の観光都市としての京都市の発展は、先人の遺産はもちろんですが、行政の観光政策によるところが大変大きいと考えております。特に時間の分散、場所の分散、季節の分散という3つの分散政策は京都市の受け入れ総量を大幅に引き上げ、混雑緩和に大きく寄与しました。また、民泊に対する規制は、後追いで簡易宿所の24時間常住ルールを作るなど一部市場を混乱させる等の課題は残ったものの、総論としては全国に誇るべき先駆的取り組みを成しえたと高く評価しています。ホテル誘致に対する積極的な姿勢も、終息宣言が遅すぎたことを除けば一定観光産業の発展に寄与したとみています。こうした取り組みの結果、5500万人まで増え続けた観光客誘致と一兆円を超える経済効果は大きな成果と言うべきでしょう。
しかし、今、京都市の観光は危機に瀕しております。
本年4月、日本観光振興協会が発表した2019年ゴールデンウィークの混雑予想では、全国の主要観光地の中で最も混雑が少ない観光地が京都だという発表あり話題になりました。各報道では「穴場」という表現が用いられたが、国民が京都を敬遠していることを如実に物語っている大変インパクトを与えたニュースでした。
京都を訪れる外国人の入洛客数は右肩上がり、海外の権威ある旅行誌トラベルアンドレジャーで2年連続世界一に輝くなど、勇ましい報道がされる一方、オーバーツーリズムという言葉が誕生し、京都市内の慢性的混雑が話題になり、観光公害という言葉が飛び出すようになりました。最新の京都観光総合調査(平成30年)では観光消費額は1兆3082億円と3年連続で一兆円を突破、宿泊客数は過去最高の1582万人と華々しい実績をPRされますが、この調査報告を経年で追いかけますと、しばしば行政の都合によって報告書のフォーマットが変わり、都合の悪いデータが表に出ないように毎年修正が加えられております。こうした統計データは毎年同じフォーマットでお作り頂くようお願いしておきます。
話を戻しますが、不都合な真実とは日本人観光客の京都離れが止まらないということです。日本人観光客はピークを迎えた平成27年から732万人も減少しており、外国人観光客が下支えしているにも関わらず、平成27年に比べ、年間総入洛者数は409万人減少しています。
今後、海外観光客は堅調に推移することが予想されますが、京都観光の主力たる国内観光客は今後更なる減少の可能性を秘めています。
また、京都市民は「旅行者をあたたかく迎えましょう」という市民憲章すら守れないほどに観光に対する不満が高まっております。
国内旅行者の京都敬遠ムード、市民の観光不満は表裏一体です。
京都市のこれまでの観光客誘致政策の実績を考えれば、さらなる誘致を展開すれば観光客数の減少は抑えられるかもしれません。しかし、我々は今一度、観光文化政策そのものを立ち止まって考える必要があります。
そもそも今日の観光政策を考える上で、一番欠落しているのは、全ての根本になる「どれ位の受け入れが市民にとって最適か」という議論がなされていないことです。
私は、オーバーツーリズムという言葉の通り、京都市への観光客は既に受け入れ可能容量
、即ち観光と市民生活の調和という限界を超えていると考えます。観光公害という言葉が出始めたのは5000万人を超えた頃、受け入れ可能総量は多少増加しておりますので5100万人程度がひとつの限界と捉えるべきではないでしょうか。市長の御見解をお伺いします。
また、観光客数のコントロールが世界的にも話題になっておりますが、世界に冠たる観光都市京都こそがその範となるべき手法を示すべきです。この点についても併せてお答えください。
京都の未来は、観光客と市民が共存できてこそ開かれるものです。まずは、一旦の着地点を見出し、ホテル誘致に伴う地価の高騰、交通混雑といった市民の不満を丁寧に整理、解消に努め「暮らしてよし、訪れてよし」の京都の再構築に全力を傾注して頂きたいと考えております。
また、併せて、誰のための文化観光都市京都についても考えねばなりません。
例えば、京町家の保全は誰のための政策でしょうか。一部の地域では確かにそこに暮らす住民が京町家に誇りを持ち、その地域を保全しようと強く願っています。それを後押しする行政は行政のあるべき姿です。しかし市全体で4万戸が京町家指定をされていますが、はたして本当に市民が望んでの京町家保全なのでしょうか。
そもそも木造建築の耐用年数を考えると、50年、100年先と仰いますが、100年後に今の京町家を保全することは極めて困難です。にもかかわらず、保全よりも新しい京町家建築に対する支援の方は極めて希薄です。このような状況で100年後の京都の街並がどうなっているとお考えでしょうか。
住居の安全と景観は両立すると仰いますが、それは現実的ではありません。
過日の委員会でも議論を致しましたが、京町家に耐震耐火構造を施し残すという施策を本格的に実施するとすれば一軒につき最低1000万円、4万戸全てを整備するには4000億円、半額を行政で補助するにしても2000億円以上の歳出が必要になります。もちろんそんなことは不可能です。これでは、いくら説明をされても、住宅の安全性、つまり市民の命の危険よりも景観を優先し京町家は保全されているととられても仕方ありません。これまで多くの京町家に住まう住民の皆さんと対話をして参りましたが、住民ニーズと合致しているとも思えません。多くの住人は外見よりもより安全で快適な住宅を求めています。
一体、誰のための、何のための京町家保全なのでしょうか。町家とは住民の暮らしであり、観光のためのものではもちろんありません。京都らしさは誰が望み、誰のものでしょうか。
市長の思いや有識者のご意見も重視しなければなりません。しかし、我々が寄り添うべきは京都に住まうひとりひとりの住民ではないでしょうか。
そうした根本的なプラットフォームが現在の行政には欠落しているのではないかと思っています。最後に市長のお考えを伺い、代表質問と致します。